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福岡地方裁判所 昭和42年(行ウ)16号 判決

原告 甲野花子

右訴訟代理人弁護士 美奈川成章

被告 福岡県立修猷館高等学校長 石橋茂

右訴訟代理人弁護士 堤千秋

同 水崎嘉人

同 和智龍一

右訴訟復代理人弁護士 徳永弘志

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が原告に対し昭和四一年三月二二日になした無期停学処分を取消す。

2  被告が原告に対し昭和四二年四月一三日になした退学処分を取消す。

3  訴訟費用は原告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告はもと福岡県立修猷館高等学校定時制課程第四学年に在学していたところ、被告は原告を、昭和四一年三月二二日無期停学処分に付し、さらに翌四二年四月一三日、福岡県立高等学校学則第二三条の二号、三号、四号により、退学処分に付した。

2  右各処分の理由はいずれも次のとおりである。

(一) 学力劣等で成業の見込がない。(前記学則第二三条二号)

(二) 正当の理由がなくて出席が常でない。(同三号)

(三) 高等学校の秩序を乱し、その他生徒としての本分に反する。(同四号)

3  しかしながら、右各処分は次の理由により違法である。

(一) 原告には前記処分事由に該当する行為はない。

すなわち、原告は入学以来第三学年終了まで終始中程度以上の成績を挙げ、昭和四〇年度においても中程度の成績を納めているし、出席率も昼間勤労に従事するという困難な環境にもかかわらず昭和四〇年度においても約三分の二の出席を全うしており、原告より出席率の悪い生徒の相当数が既に卒業している状況である。また、原告は学校の秩序を乱したり生徒としての本分を逸脱したりしたことは全くない。

(二) 本件退学処分は、本件無期停学処分と全く同一の理由に基づくものであり、同一事実に対する二重の処分として違法である。

(三) 本件各処分は裁量権の濫用であって違法である。

前記のごとく、原告は昭和四〇年度において授業日数の約三分の二の出席を維持し、かつ、その成績も中程度であり、原告よりも出席日数が不足し、かつ、成績不良の生徒が既に卒業しているにもかかわらず、原告を無期停学ならびに退学処分に付したのは、恣意的に著しく公正を欠いたものである。

また、原告は昭和四〇年三月頃、学校側より始末書処分を受け学校当局から嫌われていたが、同一条件下で始末書をとられた生徒は既に卒業しているにもかかわらず原告のみ退学処分を受けたのは、理由のない差別的取扱いであり裁量権の濫用である。

よって、被告が原告に対してなした請求の趣旨記載の無期停学ならびに退学処分の取消を求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1項2項の各事実は認め、同3項の事実は(三)のうち昭和四〇年三月ごろ、被告が原告に始末書を提出させたこと、その際同一の理由で始末書を提出した生徒が翌年三月学校を卒業したことを認め、その余の事実ならびに(一)、(二)の事実は全部否認する。

三  被告の主張

1  原告は昭和四〇年四月第四学年に進級したが、全学年における授業時間、六三五時間のうち約半数の三〇五時間を無届で欠席し、全学年度の成績は学年順位七四名中六六席、学級順位三八名中三五席で成績は極めて悪く、授業を受けられない特段の事情もないのに学校を欠席し、また、「政治活動をしたため学校から退学処分にされた」旨全く事実に相違することを公表して学校を中傷するなど、生徒としての本分を逸脱したものがあった。

2  右のような原告の行状は福岡県高等学校学則第二三条二号、三号、四号に定める退学処分事由に該当するものであるが、被告は原告が、自己の非を充分反省し、これを改めて生徒としての本分を逸脱することなく就学するよう翻意するのであれば成業せしめたいと考え、直ちに退学処分に付することを保留し、昭和四一年三月二二日付をもって原告を無期停学処分に処し、もってその反省を促したのであるが、原告は自己の非を全く反省しようとはせず、かえって、被告の無期停学処分が事実に反する不当なものである旨主張し、学校を誹謗する文書を公衆に配布するなどの行為を重ね、前述の非を改めて就学しようとの意思は全く見受けられなかった。

右の次第で被告は原告を退学処分に処したのであって、何ら違法はなく、また二重の処分にもあたらない。

第三証拠≪省略≫

理由

一  請求原因事実中、被告が原告を福岡県立高等学校学則第二三条二号、三号、四号により、昭和四一年三月二一日無期停学処分に、翌四二年四月一三日退学処分に処した事実は当事者間に争いがない。

二  そこで、右各処分の適否について判断する。

1  ≪証拠省略≫を総合すると次の各事実が認められる。

(一)  原告は昭和三七年三月に中学校を卒業した後、福岡市内の病院に看護婦見習として勤務する一方、福岡県立修猷館高等学校定時制(以下定時制という)に入学し、第三学年までは、成績はあまり良くなかったものの、昼間勤務という状況のなかで欠課時数はあまり多いとは言えず普通程度の出席時数を保っていたが、昭和四〇年四月第四学年に進級した後は要出席総時数六三四時間中、欠課時数三〇五時間に達し、全科目とも原級止めおきに付せられる三分の一以上を欠席し、その間の学年成績は、学年順位七四名中六六席、クラス順位三八名中三五席であった。

(二)  昭和三九年一一月ごろ、原告と同学年の乙山一郎、丙川月子らが、定時制学内において、ベトナム戦争反対、原水爆禁止被爆者求援、原子力潜水鑑シードラゴン号の寄港反対を内容とする署名活動を始め、原告はこれに同調し、友人の丁原星子とともに署名を集めて回ったところ、右署名活動に対し、生徒会校規委員から、同生徒会で定めた生徒心得第一五項で禁止されている校内における政治活動に該当し、生徒会における処分(生徒会校規定第四条)の対象にもなるので中止するよう申し入れられたことに端を発し、これに署名した当時の生徒会総務が自ら辞任を申し出る等の事態が生じ、当時の定時制講師山下勝泰が署名活動を支持したこともあって、署名活動の中心者らと生徒会役員との間の紛糾へと化していった。

そこで、学校当局としてもこれを放置できず適切に補導していくため、同年一二月七日に生徒会総務、校規委員、署名活動をした乙山や原告らと波多江教師ら数人の教師の出席のもとで、問題収拾について話合い、それぞれの意見を聞いた上で、今回のことは水に流すこと、以後、校内におけるこのような活動を慎むこと、当時外部に投書した者がいたので、外部へ問題を持ち出すことなく、教師生徒間もしくは生徒相互間で話し合いによって解決するよう努めること、等の内容で一応の収束を図ったが、学校当局としては、当時このほかにも政治的なものと目される行為があったので、以後このような事態が生じるのを防ぐため、個別に事情を調査する等の補導措置を継続した。

ところが、翌四〇年一月、原告や乙山らは、山下講師とも相談した結果、同月一四日から一七日にかけて開催される日教組ならびに高教組主催の教育研究集会に前記問題を提起することにし、当日同集会において生徒の研究発表の形で、学校が右翼的教育に偏向し、生徒の平和運動の自治活動を弾圧している、と発表する一方、会場において前記補導課程における定時制前田理八主事の言動を非難攻撃する内容を含む「署名活動から芽生えた私達の自治活動」と題するパンフレットを販売して資金カンパを募る等の行動に出た。学校当局としては、これまで問題を学外に持ち出さず学内における話し合いによる解決を補導してきたことに反する原告らの行動に対し、生徒や父兄を個別に呼んで事情を調査して職員会議に付した結果、右集会参加者を始末書処分に付すことを決議し、大多数の生徒は始末書を提出したが、活動の中心者である乙山、丁原と原告は始末書を提出しなかったので、さらに職員会議に図り、乙山、丁原両名に対してはその父兄に対し非公式に転校を勤めることに決め、その旨右両名の父兄と相談した。ところがこれを知った乙山や原告らは、学校の右措置を退学処分であると速断して、同年三月一六日の終業式当日、職員室に、いわゆる社青同に属する学外の九大生やその他民間団体の者二〇数名とともに抗議に押しかけたため、不穏な雰囲気となり、学校当局は福岡市西警察署に出動を要請し、同署員らが仲にはいってようやく何事もなくおさまったが、新聞紙上には同日乙山、丁原両名に対し退学処分が言い渡されたものと誤って報道された。

この後、原告らは高教組へ右退学処分(実際にはなされていない)の不当性を訴え、また民間諸団体にも広く支援を呼びかけたので、社会党に修猷館問題対策委員会が設置され、その実行委員会として民間の一六、七団体が参加して結成されるに至ったが、高教組が中に立ってこの問題の仲介に乗り出し、学校側としても、原告や乙山らに対し外部的な情宣活動を中止して円満な話し合いに応ずることを要請した上で右仲介を受けることにした。話合は同年四月から八月までの間一〇数回にわたって開かれたが、原告ら生徒側は右話合にたびたび無断で欠席するばかりか、学校側の前記要請を無視して一方的に学校当局をのみ非難する内容のパンフレットを作成、販売して資金カンパ活動を続けたので、高教組からも原告らの行動に対し自粛するよう注意がなされたが、同年八月に至り、高教組による一応の結論が出され、それによると、生徒は反省書(始末書)を父兄連署で入れる、学校は文書をもって生徒全員に学校の態度を明らかにする(但しこの文書は学校と教組でもち、他へは持ち出さない)、というものであった。

しかし、原告は同月二六日、東京で開かれた社会党系の原潜寄港阻止中央集会に参加し、その席上で、署名活動をしたため学校から放校処分を受けた旨原告の独断による誤った事実を公表したため、同年九月一日付社会新報においてそのまま誤った事実が掲載され、また、原告は学校非難のパンフレットの配布もやめようとしなかったので、学校側としてもついに処分に踏み切らざるを得ず、職員会議を開き話合った結果退学処分相当の意見が大勢を占めたが、当時の重藤校長の意見により、ひとまず反省の機会を与える意味で無期停学処分に付することに決し、前記争いのない無期停学処分を言い渡した。

しかし、原告はその後もこれまでの態度を変えることなく、佐世保における原潜寄港阻止集会に参加し、前同趣旨の発言をくりかえすなどしてこれまで同様の言動に終始したので、前記争いのない退学処分が言い渡された。

以上(一)(二)の各事実を認めることができ他に認定を左右するに足る証拠はない。

2  ところで学校当局がその教育方針に従い、学内における宗教的および政治的活動について生徒が学業を疎かにし或いは学内教育秩序を乱すことのないようこれに規制を加えることの合理性は言うまでもないが本件のように昼間仕事に従事する定時制高校とはいえ、生徒の大多数が中学を卒業したばかりの未成年者である高等学校においては、とくに生徒の社会的成熟の段階に応じて政治活動等によって学業を疎かにしないよう注意すると共にそれについての補導の必要もまた存するのであって、学校側が原告らの本件署名活動に対し注意を促したこと、また、補導に反して教研集会に参加し原告ら生徒側の考え方だけで一方的に学校当局を非難する発表をしたことに対して学内で解決すべく生徒会総務らを交えて協議し一応の収拾をみた協議事項に反するものとして参加した生徒を始末書処分に付したこと等は右の見地からして是認さるべきである。また、高教組が介入して問題解決への話合が進められ、原告らとしても自らの意見を公平に述べうる機会が与えられたにもかかわらず、これを無視して円満な解決をより困難にした責任は原告側にあるものと認められ、原告らの前記認定の各言動は、生徒としての本分に反し、学校当局をいたずらに非難中傷したものと認められてもやむを得ないものであった。かかる場合に学校当局が、学業を疎かにして種々の行動に参加した原告に対して、原告に反省の見込がなくこれを学外に排除することも教育上やむをえないとして本件停学処分に引き続き本件退学処分をなしたことは適法かつ正当である。

以上、要するに、前記(一)(二)の認定事実によれば、原告は学則第二三条第二、三、四号に該当する者であるから、被告がなした本件各処分には何ら違法の点はない。

三  原告は本件各処分を二重の処分にあたると主張するが、前認定のように一応反省の機会を与える意味で無期停学処分に処し復学して成業につく見込がないと判断されたその後における時点で改めて退学処分に付することは何ら二重の処分というにあたらない。

また原告は、乙山、丁原らが後に同校を卒業していることをとらえて裁量権の逸脱であると主張し、≪証拠省略≫によると、右乙山らが卒業した事実を認めることができるが、同時に右乙山らが後に始末書を提出して学校に反省の意を表明した事実も認めることができ、これによると、学校当局としてはその教育的配慮にもとづき個別的に反省の態度、改善、成業の見込の有無等を判断した結果、その取扱いに差異が生じてきたものにすぎないものと認められ、原告主張のような裁量権を逸脱したものと認めることはできず他にこれを認めるに足る証拠はない。

四  よって、原告の本訴各請求はいずれも理由がないので、これを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 高石博良 裁判官 足立昭二 裁判官郷俊介は転補につき署名捺印できない。裁判長裁判官 高石博良)

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